私は、歴史は得意ではありませんが、歴史小説は大好きです。

そして、年号を覚えるのは非常に苦手ですが、年表を見るのはとても好きです。

年表の何が好きかというと、歴史を同時進行で見るのがすきなんですね。

歴史の授業って、中学からの記憶しかないんですが、年代があっちこっちにとぶので、とくに世界史のときは断片的にしか頭に入ってこず、苦労したのを覚えています。

そのころは、年表など必要最低限しか開かなかったのですが、大人になって、詳しく書いてある年表を買ってから、それにハマりました。

年表を買うきっかけは何だったでしょう?今となってははっきり覚えていません。確か、哲学書を読むようになって、哲学者の生きていた時代背景や出てきた順序を知りたいと思ったのがきっかけだったのではないかと思います。

これがその年表です。2006年版なので、2005年まで載っています。

この年表を本屋さんで見つけた時は狂喜しました。

 

中を見ると、それぞれの国が同時進行で見れるように、とても分かりやすく並んでいます。

最初は、調べたかったところだけ見ていたんですが、そのうち、面白いことが見えてきました。

世界では様々な文明が発達していて、詳しく書いてあるんですが、日本はずーっと縄文時代なんですね。

次のページでやっと弥生分文化が出てきました。

まだ弥生ですね。

まだ弥生。

やっと卑弥呼がでてきました。

そして、突然アメリカが出てきます。コロンブスが発見したんですね。もともと存在しているのに、年表には発見されてから突然出現するのでなんか変な感じです。

その次は、私の大好きなスピノザが出てきます。そのころ、オランダは世界で最も進んでいる国だったようです。そのころ共和制の国はオランダだけだったとスピノザは言っています。でも、また民衆は自ら君主制に戻してしまうんですね。

そして次は、アメリカの横に太平洋アフリカが出現。植民地の独立が始まったころですね。

そして、その欄は次の第一次世界大戦がはじまるころになって、国際問題という欄に変わります。

そのころ、日本は日本帝国と表記されています。そして、第二次世界大戦が終わると日本という表記になっています。まあ、当たり前ですが…

そして、2005年でこの年表は終わっています。

久しぶりに新しい年表を買おうかな。

もうあれから15年が過ぎているんですね。

この中には、いろんなことがごちゃ混ぜに載っていて、まるでおもちゃ箱をひっくり返したようです。

政治も、文化も、学術も、芸術も、事件も、戦争も、年表になると並列して載っている。

ただ、淡々と時を刻んでいくだけの、ノンジャッジメントの世界。

今回の写真には取り上げていませんが、一番感慨深かったのは、国の名前が刻々と変わっていくことです。

国破れて山河在りという詩を思い出します。年表で見てると、名前は変わるけど、ただそれだけ。

そこに住んでいる人は変わらず存在する。

誰が統治したとしても。

これを見ていると、刻々と変わっているだけで、何も進歩していないようにも捉えられます。

人類は太古の昔から、そんなに変わっていないんですね。

ただ、行動範囲が広くなっているだけなのかもしれない。

 

そういえば、宇宙から地球を見てかえって来た宇宙飛行士が、地球の近くにかえってきて、宇宙から眺めていた時、ふと境界線がないことに気づいたそうです。

私たちは、世界地図に慣れているので、本当は存在するはずのない境界線をあると思い込んでいるんですね。

それに気づいた時、それまでの価値観がいっきに変わったそうです。

もしかしたら年表もそうなのかもしれませんね。

それぞれの国の歴史が別々に進んでいるような気がするけれど、どれもみなごちゃ混ぜの歴史の中の一部でしかないということ。

 

どうですか?並列の時系列で世界史を紐解くのも面白いでしょう。

今年はコロナで、一気にオンラインで世界がつながりました。

これも、ずっと後になって、年表で見たらどんな感じがするんでしょうね。

本当は世界は境界線などないということに、オンラインでやっと追いついてきたのかな。