今、私の傍らには木軸の万年筆があります。この万年筆は、私にとって父の印象そのものです。

材質は、ウォールナットで、かなり太くて重量感があります。

万年筆メーカーとイギリスのライフルメーカーがコラボして作ったものです。

胴体には、ライフルに装飾と滑り止めのために施されるチェッカリングが彫刻されています。

この模様を見ると、幼いころ、父がライフルを磨いているのをそばで見ていたのを思い出します。丁寧に扱われ、みがかれたそれは、濃い茶色の木の部分と、黒い鉄の部分がそれぞれ違う質感で、艶やかに、また鈍く、光っていました。

父は家具屋だったので、お店に遊びに行くと、大抵家具の仕上げで、カンナをかけたり、磨いたりしていました。

家具以外でも、木彫りの彫刻が好きで、家にはたくさんの木彫りの彫刻が置いてあり、それもよく磨いていました。

また、父は若いころ一時期書道を習っていたことがあり、毎晩墨をすって書いている横で、私も一緒に習字をしていた覚えがあります。

でも、日中、ずっと重いタンスを運ぶので、夜、書こうとすると、手が震えて書けないと言って、やがて習字は私だけになりました。

父は万年筆を使う習慣がなかったのですが、書道をしていたせいか、万年筆も父の印象になっています。

そういう理由で、この木軸の万年筆は、父の印象そのものなのです。

なぜか、母のそういうものはないので、私はどちらかと言えば父っ子なんでしょう。

父は、あまりにも気ままで、激しい気性なので、周りの親戚や家族からは敬遠されています。

私も、怖いと思ったこともありますし、反抗したことも、疎ましく思ったこともありますが、他の人のように、そんなに嫌ではありませんでした。

だからと言って、友達のように仲がいいわけでもありません。今でも父と話すとき、何か近寄りがたい緊張感があります。

とても不思議な距離感ですが、これが、私と父のちょうどいい距離なのだろうと思います。

帰省したときも、私の実家には少し寄るだけなので、実家に帰っても、父とは挨拶ぐらいで、ほとんど話すことはありません。それでも、分かり合えている感じがするのは、父と私は価値観や性格が似ているからかもしれませんね。

父は、私がこのようなことを思っているなどとは露ほども思っていないでしょうが、私にとっては、この印象だけで、父の役割を果たしてくれていると思っています。

私は、この万年筆で文字を書きながら、どこか父の存在を感じ、安心しているようです。

父親の存在意義があるとすれば、幼いころ見ていた父の力強い大きな存在感でしょう。

ライフルを磨いて、タンスを磨いて、墨を擦っていた。あの父の存在がずっと私の中に生き続け、私という人間を作ってきてくれたのだと思います。

そして、「大丈夫だ、生きていける」という勇気をあたえてくれているのだと思います。