今朝は英語のレッスンというのは名ばかりのカーリールジブラーンの詩を読む時間。

最近は隔週になってます。

始まったのが2018年の3月なので、もう4年目に入ったことになりますね。

先生は2017年のアメリカのワシントンで開催されたICFコンバージの最終日のワークでご一緒させてもらった黒人のもと軍人さんが日本とご縁のある方で、日本でお世話になったお礼に素晴らしい人を紹介してあげると言ってくれました。

そしてすぐ連絡を取ってくれてその場でその方と話してお願いすることになったという数奇な出会いの女性。

いくら無防備な私でも、さすがに怪しく思って、その時一緒に居てくれた國井あや子コーチが大丈夫って言ってくれなかったらせっかくのお申し出も断っていたと思います😅

日本人で同時通訳も仕事でしていたという彼女は、息子さんをバイリンガルに育てたという自負があり、私も不可能じゃないと言ってくれたけど、今では二人ともそんなことはすっかり忘れて、どっぷりこの詩にハマっています。

お互いジブラーンの詩を味わう至福の時間になっています。

その内容は不思議とその時々の私の考えや状況にリンクしていていつも驚いています。

先月はOn Reasom and On Passion

理性と情熱について

でしたが、ちょうどEQの継続学習月間でめちゃめちゃリンクしてました。

ジブランさんEQ知ってるの?と言いたくなるぐらい。

今月は、その次の On Pain 痛みについて。

佐久間さんの訳では 苦しみについて になっていますが、私は痛みについての方がピンときます。

そしてこの内容がJCLAでも講座でよく取り入れているヴァルネラビリティにリンクしています。

ヴァルネラビリティは一昨年藤野先生のセミナーで初めてお聴きしてそれから私なりにいろいろ深めてきました。

傷つきやすい自分に気づいているが、それは単なる弱さではなく、その後どう行動するかは選択できる。その時に生身の自分をさらす勇気を持つこともできるということなんですね。

でも、今日特に心に残ったのは、実は内容ではなくて、途中で大文字になっている名詞について。

キリスト教の内容にも通じてる詩らしいので、その中に神の存在を表現するところがあります。

その時に最初の文字が大文字になっているのは神のことを指しているのだと。

神は唯一無二の存在だから最初の文字を大文字にする。

例えば今日の中で言うと。

Unseen(見えないもの)

Potter(陶工)

これが神の比喩なんですが、

それなら、ということで話に出てきたのが個人名。

個人名も最初の文字は大文字。

それは、一人一人が唯一無二の存在だから。と

唯一無二という存在の重さを大文字が表しているという感覚がなかったので感動してしまいました。

一昨日から、一人の存在の重さがテーマになってたので、そこにリンクした感じです。

これから名前の大文字を見るたび、唯一無二の存在というのを思い出しそう。

この詩、全部で28章あるんですが、今日のは16章目。

半分以上過ぎたのはなんだか終わりが近づいてきて寂しいような嬉しいような。

暗唱するって宣言してたんですが、それは難しいのでせめて朗読できるようにはなりたいなあ。

アメリカに住んでいると日本の桜が見たくなるそうです。

アメリカにも素晴らしい桜並木があるけど、あれは日本のとは全く別物とおっしゃってました。

ということで、うちの近所の桜の写真をこよなく愛してくださる。

今日はあいにくの雨の桜。

でもまあ、これもまたよし。