一般的に、抽象的な話は嫌われる傾向にありますが、それは、聴くものにわからないという不安を与えるからでしょう。

単に、聴いている側が耐えられないからというだけで敬遠されているのかもしれませんね。

話す側の話を相手に理解してもらうことが目的の場合は、いかに具体的な内容に落とし込めるかが課題になりますが、コーチングセッションの場合は逆になります。

即ち、話を聴く側の課題です。

それでも、抽象的な話を嫌うのはあらゆる場面で共通するので、話す側も自分が話すことが抽象的な内容になることを恐れて、申し訳なさそうに話すのが常になっているように感じます。

でも、考えてみれば、本質的なことは、抽象的なことのはずです。

抽象的に考えられるというのは、人間に与えられた高度な能力と言えるでしょう。

コーチングセッションでは、具体的な目標や行動案に落とし込んでいきますが、その前にたくさん抽象的なことが話されていて、その本質的なことが共有できていることが最重要なのだと思います。

抽象的なことは、よく、「ボヤっとしている」とか「ふわっとした話」とかで表現されます。

自分でもまだよく言語化できていないことがボヤっとしているのは当たり前のことでしょう。

それを最初から具体的(ここでは具体的な目標や方法、行動案の意味)に話せというのはちょっと乱暴ですね。

抽象的な思考の海に漕ぎ出すのは、聴く方にも勇気がいりますが、話す方はさらにです。

自分でもわからないことを話そうというのは、よほど相手を信頼できないと話す気にはなれないと思います。

その時に、最初から具体的なことに焦点を当て直させるのではなく、抽象的なことを表現するための具体的事例やその言葉自体の探求が役に立つと思います。

相手の抽象的な思考の言語化をサポートするのがコーチの重要な役割でもありますね。

抽象的なことを語る奥には、今自分が向かおうとしている方向が本当に自分にとって正しいのかを確かめたいという気持ちがあることが多いです。

でも、そここそが、どんなテーマをを扱うにしても、コーチが共有するべき最重要項目のはずなんですね。

ある時は、抽象的な内容が具体的な事例の形を借りて出てくることもあるでしょう。

そうなると、今度は逆にそこから浮かび上がてくるはずの抽象的な本質を聴きとらなければならないと思います。

そのように、たっぷりと言語化できていないところで漂って、さらにいうと、いったん出てきたことも、徐々に熟成まで付き合うことが、本当の意味でのコーチングの果たす役割なのではないかと思います。

それを待たずに無理やり具体的な目標にしていくのは、まだ熟していないワインの封を開けることに似ているでしょう。

その香りは鼻につき、渋みは舌を刺します。

しかも、下手をすれば、そこからへんな思い込みをつくり、そっとしておけば自然に近づいていくものを、かえって逆方向に向かわせ、遠回りさせることになってしまいます。

クライアントの人生を芳醇なものにすることに役立つのか、渋くてまずいものにする方に加担するのか。

コーチも同じようにそのどちらかを味わうことになるのですね。

画像は、最近気に入っている、ヴァレリーのカイエ。

カイエも、ある意味、ヴァレリーによって紬だされた「抽象」ですね。

断章を読むのは苦手だったんですが、このカイエは面白いです。

目的を持たせたり、形をととのえたり、まとめるための無駄な力が働いていない、純粋で直接的なので、そのままの熱量で伝わってくるように思います。