物理学者の考え方が魅力的だと思うのは、例えばこのようなことだなと思いました。

昨日のブログで紹介した、キップ・ソーン博士の『ブラックホールと時空の歪み』(白揚社)の第一章アインシュタインの紹介をしているところに、次のような物理学者の実験の難しさがあげられています。

空間と時間は絶対だとしたニュートンの考えを初めて崩すことになったアルバート・マイケルソンの光の伝播時間の測定の実験。その実験が驚きの結果をだしたにも関わらず、多くの物理学者は疑いの目でそれをみて、相手にしなかったと。

少し抜粋すると、

 

懐疑的になるのはやさしい。興味深い実験はしばしば恐ろしく難しい。

━━━あまりにも難しいために、どんなに注意深く行っても誤った結果をうることだってあり得る。装置にちょっとした異常が生じたり、温度に小さな制御のきかない揺らぎが生じたり、あるいは実験室の床に予期しない振動が起きたりしただけでも、実験の結果は変わりうる。したがって、今日の物理学者が1890年代の物理学者と同じように、互いに矛盾する、あるいは、われわれが心の奥に大事にしまっている宇宙の本性と物理法則にたいする信念と矛盾する、非常に困難な実験にときどき直面させられるのは、驚くに当たらない。

最近の例としては、「第5の」力の発見を支持する実験とそのような力の存在を否定する実験があり、また、(標準的な法則を物理学者が正しく理解しているとすれば、法則によって禁じられているはずの現象である)「常温核融合」の発見を主張する実験と常温核融合の存在を否定する実験などがある。

われわれが心の奥に大事にしまっている信念を脅かす実験の方が、ほとんどの場合間違っている。そのような過激な実験結果は、実験誤差が作り出した虚構なのである。しかしながら、それらが正しく、自然に対するわれわれの理解の革命に向かう道を指し示すこともときにはある。どの実験が信用できるもので、どれが信用できないものか、どれが真剣に考えなければならないもので、どれが無視していいものかを嗅ぎ分ける能力が、傑出した物理学者の印である。                    キップ・ソーン著『ブラックホールと時空の歪み』(白揚社)より

 

上記の抜粋した文章の中にある。「どれを真剣に考え、どれを無視するのかを嗅ぎ分ける能力」という考えかたを、私は非常に魅力的だと思うのです。

気が遠くなるような実験を繰り返す物理学者だからこそ、これができなければ命とりになるのでしょう。

でも、この能力は物理学者だけのものでしょうか?

岸見一郎先生も、読書について話された時に、どんな本でも最後まで読まなければならないと思うような読書ではなく。自分に合わないということが分かったら、その本を途中で閉じる決断も必要だと仰っていました。

哲学者にとっても、膨大な論文全て目を通すわけにはいかないでしょう。

 

一般の私たちにしても、それは非常に大切なことではないでしょうか。

この、たくさんの情報が押し寄せてくる環境の中で、そこから何を選ぶかは、個人にまかされています。

さらに、様々な価値観も氾濫しています。どれを選ぶかで、人生が大きく変わることもあります。

なにを選び、何を捨てるのか。

物理学者になったつもりで取捨選択していくとどうでしょうか。

先の実験について、1890年代の何人かの傑出した物理学者はマイケルソンの実験を検討し、装置が細部にいたるまで入念に作られていること、実験が細心の注意を払ってなされたことから、大いに信頼できるものだと結論した。この実験はいい「匂い」がする。彼らはこう判定したとあります。

いい匂いを嗅ぎ分けられるようになりたいものですね。