対話や会話の時に、「話を聴く」という表現はされるのに、「話題にする」という表現は、あんまり使わないのではないでしょうか。

国際コーチング連盟がコーチの能力をアセスメントする基準にPCCマーカーというのがありますが、その中の傾聴のカテゴリーにexploresといいう言葉が使われています。
英語の意味は探究、調査というものですが、それを日本のチャプターの翻訳では「話題にして掘り下げる」という表現がされています。

私は、この表現を見たときとても新鮮な気持ちがしたのを覚えています。

「話題にする」という表現の方が、「話を聴く」という表現より、対等で、より具体的で、より本質的に大切なものを表しているのではにいかと思ったからです。何が違うかと言えば、そもそもの相手に向き合う姿勢でしょう。

もちろん、これは、話題にしたうえで聴くということです。

話を聴くというと、そこには前提として、必要なことが話題に上っているはずだという考えがあるように思います。

でも、どうでしょうか、必要な話は勝手に話題に上ることはまずありません。

双方が意識して話題にする努力が必要です、そこへの意識がないまま、話が進んでいくと、会話は行き当たりばったりになったり、なし崩しに進んでいって、収拾のつかない方向にいくか、単に聞き手の関心がある情報をきくための時間になってしまい、建設的な対話にはなっていくことは難しいでしょう。

話題にしようという意識は、もっと丁寧な姿勢を感じます。

まず話題に上げる、そこから深めるというのが、正しい順番であるはずなのに、この当たり前すぎることが、当たり前すぎるからこそ見過ごされて省かれる。
その話題に上げるという意識の欠如によって、対話はどこか一方的で乱暴なものになったり、全く話がかみ合わなくなっていくように感じます。

話題にするという意識なく、聴こうとするのは、どこか土足で上がり込むことに近くはないでしょうか?

もっと厳密にいうなら、話題にすることに許可をもらわないといけないこともあります。

でも、その前に、話題に上げるという意識がないと、それもできないでしょう。

「話題にする」という意識は、相手が自分とは違う考えを持った人で、それは、話されるまでは知ることができないということを忘れていない姿勢なのだと思います。