映画マトリックスは1999年に公開されたアメリカ映画ですね。
私は最近まで観たことがなかったんですが、SFにハマっていて、映画でも何かないかと物色していて見つけました。
やはり今の映画よりは古い感じで、ちょっと笑ってしまうような演出もありますが、当時は映像革命と話題になっていたとか。
ものすごく感動したということはないのですが、続きが気になり、立て続けに3作観てしまいました。
コンピュータが反乱して、人間がそれらの動力源となり、培養されるという設定です。
人間はカプセルで培養され、夢の中の仮想空間で生きているように思いこまされて生きている。
その仮想空間もコンピュータによって完璧に管理され監視されている。AIが発達してきた今のような世界なら、もしかして起こりうるかも?
でも、これは、人間自身のことのようにも思えます。
脳が私たちをだまして自分の見たいように世の中を見させ、自分の聞きたいように聞かさせる。所謂、主観です。
主観は厄介です。微妙なものになると、それが自分の主観だということに気づくことも難しい。
まさに主観はマトリックスの世界ですね。
現実世界でここから脱するにはどうすれば?
私は、他者と自分との違いが出会うとき、それは破られるのではないかと感じています。
それはまるで電波が反射してその存在を察知するレーダーの仕組みのようです。
このことは、話を聴く仕事をさせてもらっていることで、日々実感しています。
最初は自分が思い込みで聴いているなどと気づいていない。
でも、ふと違うのではないかと感じ始める。
同じ言葉を使っているから、同じ認識と思い込んでしまうけれど、ある時その言葉の意味を聴いて、その違いに愕然とする。
限りなく同じイメージに近づいたと思っていても、微妙な違いが存在する。
でも、そのほんの少しの違いの隙間から、その人の真実の姿があふれ出してくる。
他者の理解、そして、自分自身の理解はそこから始まるように感じています。
でもそうなるために、ほんとうにの少しの違いになるまで限りなく近づかないとだめなんですね。
ここまでくると、もはや脳は、その錯覚の綻びを誤魔化すことはできなくなる。
このように相手と対峙してる時、脳は静かに沈黙しているのを感じます。
脳に勝った瞬間ですね。きっとAIも同じだな。
他者がいれば、マトリックスの救世主はいらないということですね。