最近身近な人には話してることなんですが、

私の中で無意識に上限を作ってたことが判明したことがありました。

しかも、その上限は、私が全然重要視していないところのものだったのでさらに驚き!

何かというと、人間の生物的寿命のことです。

私は、「人間って120歳ぐらいまでは生きられるらしい」というのを大昔に聞いて、120歳の人って聞いたことないけど、きっとそうなのかもしれないと思い、それがいつしか確信に変わり、知らず知らずそれでインプットしていたようです。

でも、ある人と話してる時に、人間の寿命の話が出て、私が120歳論をぶちかましたら、その人いわく、「遺伝子的に証明されているのは○回再生できるということで、それでいくと人間の遺伝子は145歳から150歳ぐらいは生きられるらしいと。

それを聞いた瞬間、私の中で何かが取り払われた気がしました。

ガラスの天井glass ceilingって、女性やマイノリティの人たちの見えない社会の中での障壁ですが、生物としてのガラスの天井を突き破った感です。

上限が120歳でも、別にそこまで生きると思っていないです。

それが145歳になったところで、個人の寿命は変わらないことはわかっています。

そもそも私自身は長生きにそんなに興味ない。だからそういうわけではないんですが、明らかに私の中で何かが変わったんですね。

そしてそのあとすぐさま行動がおきました。

何かというと、ちゃんとメンテナンスしようという気になったんです。

要するに、身体の細胞を作るための材料を入れるということと、外側からのケア。

その方いわく、身体に絶対必要なのは季節の食べ物だけではダメで、大豆のタンパク質が不可欠だと。

で、ダイエットでは全然飲む気にならなかったタンパク質のパウダーを飲み始めたんですね。

さらに、ここのところ、化粧品にもあまり興味がなくてコンビニとかドラッグストアで最低限必要なものを何かのついでに買う感じだったんですが、自分なりに調べてこだわりの基礎化粧品を購入しました。

この感覚を違うものに例えると、使い捨ての紙袋だと、どうでもいい感じで破れたら捨てる的な扱いだけど、とても長持ちするいい革のバッグはクリームを塗ったり磨いたりするのと同じような感覚かな。

ここまで書いて、誤解されないために強調したいのは、ここで私がいいたいのは、身体を大事にすることが良いのではなく、私の気分が未来に対してとても積極的に変化したということなんです。

実際それを聞くまでは、120歳に対して55歳生きたらもういいんじゃない?的な感じになっていたようです。

無意識のうちですが。

それが外れたからわかるのであって、渦中にいたらそう思ってることにも気づかないですよね。

もしかして、これって未来への希望とか信頼とかが出てきたってことなんだろうか?

20年伸びるだけでこんなに変わる?

本当にびっくりです。

ここであらためて思うのは、きっと他にもまだまだこんなガラスの天井があるに違いない!ということ。

それは、普段全く気にしていないことで、自分の中で当たり前になっていることで、価値も感じていないようなところに潜んでいるようです。

コーチとして、こういうありとあらゆるガラスの天井に気付いていける人間になりたいなと…

今の自分の気分と行動の変化の実感から、本当にそう思います😆

しかもこの変化は楽しいばっかり😍

寿命話に長々とお付き合いくださってありがとうございます😊

そして写真は至福の読書✨